ゆるヒヤのブログ

花咲く町に君の名を呼ぶ

10月20日/今日のTwitter全部ゲロ滑りしてた気がする

f:id:megane_89:20211020161755j:plain

 

 

 

 

 

 

自分で芯を喰ったなってツイートがそこまで伸びて無かったら自分でRTすればいいんだろうしみんなそうしてるんだろうけど、霞くらい小さいプライドが邪魔する。俺もインカム付けるんで操作してください。

 

 

 

 

相棒season20 1話

tver.jp

 

 

f:id:megane_89:20211021165756j:plain

フィクションにおける究極の問いの一つとして、「作者の人格と作品は分けて考えるべきか」みたいな話がある。

 

このドラマ相棒において、SNSを見るにゴリゴリの偏った思想信条があるように見えるメイン脚本家は自分の人格と作品をうまくコントロールしてるように思う。

 

なのでこのドラマが好きな自分は作者の人格と作品は分けて考えるべきという考えに概ね、”概ね”賛同している。

 

season20第1話もそうだ、このseason18最終話から続くいわば「鶴田官房長官編」とでもいうべきこのドラマのシリーズには珍しい長く伏線を張り巡らせた回の続き。

 

官房長官記者会見で質問が当てられなかったといういわば私怨をドロドロに煮詰めた記者の著を原作になぜか賞まで取ったあの映画を見て作りたくなっちゃったのかな?という感じで、官房長官を巨悪に描くあの映画のようにこの「鶴田官房長官編」のストーリーは進んでいく。

 

荒唐無稽だと評されたあの映画とは全く違う、うまくシリーズの一部分でありつつも時代性を映した背景そしてなによりも登場人物がこのような黒幕がいたらこのように行動をするだろうなという説得力がある。このシリーズが20も続いている作品の中でも指折りの長編だと自分は思う。

 

そして2016年3月16日、メインの登場人物卒業という一世一代の回に同じようにアメリカのあの悪役をメインにした映画を見たから書きたくなっちゃったのかな?というストーリーで駄作を世に出しあんなに叩かれた人間が同じ脚本家とは思えない兆年に今回はなっている。

 

自分は作者の人格と作品は分けて考えるべきという考えに概ね賛同しているが、そんなことできて無い作者も作品もごまんとありそんなことできない人間が幾万もいることは承知である。

 

しかしながらこのシリーズが20も続いた相棒という作品において、このメインの脚本家はそれをうまくコントロールし。自分の人格を見せつつも見せないということができている。そう思う。

 

season20の第1話、相変わらず制作側と自分という視聴者が信頼関係を築けていると思うと嬉しいなとただただそう思う。

 

 

ダークカイトの話辞めてね